「remember」

千年の恋煩いの悩みのほんの一欠片ではあるが、
それが今果たされようとしているのだ、と思うと、ベアトリーチェは身が震えるほどの思いだった。
胸が高鳴ってどうしようもなく、おかしくなりそうだ。
「戦人」
愛おしい男の名を呼ぶ。男は無反応だ。
男、と呼ぶのもはばかられるのかもしれない。家具に性別など必要ないのだから。
全裸にされ首輪をはめられた愛すべき男は今、ベアトリーチェの手中にある。
恋の根を受け取り、実際に会ったこともないままに千年を待ち続け、ようやく出会えた相手が、手の内にある。
思いのままに扱っていい……。
ベアトリーチェは湧き上がる歓喜を押さえつつ、ベッドの端に座らせた戦人に近付いた。

「長かったぞ……千年は、長かった」
恋しい相手の頬に手をのばす。
肌に触れることすら奇跡と思えた。
この千年、ただただ待ち続けるばかりで、
相手がどこでどうしているのか、どんな面影になっているのかも解らず、ただ想うことしかできなかった。
それが今や、触れることも自由、心ゆくまで眺めつくすことさえも自由。
ベアトリーチェは、ほぅ、とため息をこぼした。
家具としてこの男を手中に収めておけるのは、せいぜい数日のことだろう。
いずれ、ラムダデルタ卿かベルンカステル卿かが、退屈に耐えかねて手を出してくるのは簡単に予想できる。
だが、その前に、それまでの数日を、愛おしい男と共に過ごしたかった。
千年の間に願い続けていた甘い時間が欲しかった。

「戦人……」
ベアトリーチェは戦人になまめかしく擦り寄る。
首輪から垂れた鎖が、じゃりっと音を立てた。
相手は全裸だ。触れれば簡単に肌も体も暴くことができる。
身体を求めることさえもできる……。

「けど、乙女としちゃぁ、いきなりそんなことできるわけがないのだ」
ぱっと立ち上がって、ベアトリーチェは自分の頬を両手ではさんでふるふると頭を振った。
押さえた頬は朱に染まって、初めての恋に煩う清い乙女の浮かれ顔そのものだった。
表情はでれでれとしただらしのない笑みである。
「戦人、聞こえておらぬと思うが……というより、聞こえておらぬであろうから言えるのだが」
ベアトリーチェは戦人を見据え、自分の胸を押さえて吐露した。
「この千年間、そなたとしてみたいとずっと願っていたことがあるのだ」
心臓の音が強く、速い。
愛おしい相手は人形のように動かず、目は虚ろなまま、こちらを見ることもない。
喋ることもなく、愛を囁いてくれるでもない。
それでも、ただひたすらに待ち続けるだけの千年よりどんなにか恵まれた時間だろうか。
愛おしい相手が、目の前にいるのだ。ベアトリーチェは再び戦人に擦り寄った。
今度は、なまめかしくではなく、甘えるように隣に腰を下ろして、
六年の間にすっかり広くたくましくなった肩に頭を乗せて呟く。
「ずっとずっと、してみたかったのだ……ずっと欲しかった……」
そして煙管を振り上げる。

「そなたの写真が欲しかったんだよ、妾はよぉおおお!」
せいやっと煙管を振り下ろしながらベアトリーチェは思う。
だいたい、相手の名前と幼少時代の顔しか知らされないまま、愛せ、恋せよと言われて待ち続けるなど困難に決まっておろう。
写真の一枚くらいは欲しい。
それを眺めながら待つことができたなら、どんなにいいだろう。
戦人の写真が欲しい。
……と紗音に願い出ようと思ったこともあったが、なんだか気恥ずかしくて言い出せないままに時間が過ぎていたのだ。

「これでやっとそなたの写真が手に入るぜぇ! ひゃはははは!」
煙管が振り下ろされると、戦人は首輪をつけられたままではあるものの、学生服を着ていた。
「あれだよなぁ……なんていうか、同じ学校の片思いの相手の盗み撮り写真みたいなのが欲しかったんだよ、妾は」
うんうん、と頷きながらベアトリーチェはカメラを構える。
かしゃり。
無表情でうつむきがちな戦人の写真が撮れた。
カメラ目線でも笑顔でもないあたりが盗み撮り写真っぽくて良い。
恋煩う相手の写真をこっそりと撮って部屋に飾って眺めてはどきどきと胸を高鳴らせるなど、乙女チックで良いではないか。
ベアトリーチェは一人でにこにことしながらカメラを抱えた。

「戦人。戦人」
熱っぽく名前を呼びながら抱き付く。
恋しい相手が目の前にいて、触れることができるというのは、なんと恵まれていて幸福なことだろう。
喜びのあまり涙をにじませ、潤んだ瞳でベアトリーチェは戦人を見上げた。
「こんだけ待ったんだからよぅ……もう一個くらい、叶えてもいいよな? 願い事……」
戦人に会えたならしてみたかったこと。
ずっとずっと願っていた、叶うかどうかも解らない、星の光のように小さなきらきらとした夢。

「キス……しても……」
頬が熱い。鼓動が速まる。脳髄のあたりで血が逆流しているようだ。
「戦人……どうせ正気を取り戻したら全て忘れておるのであろうな。このキスも。妾が何を言ったかも。
 妾はそれでも構わぬ……というか、その方が好都合だ。その……いささか恥ずかしいからの。
 ……千年を生きても、まだまだ気が弱いのぅ、我ながら」
自嘲しながら、自分の熱い頬とは正反対の冷たい頬を両手で優しくはさみ、
ベアトリーチェは内緒事を遂行するようにそっと唇を寄せた。


     * * *


というような記憶がしっかりばっちり残っているのだが、
と数十年ぶりに黄金郷で再会したベアトリーチェに告げるべきかどうか迷いながら、
毎日していても真っ赤になってうつむくのがかわいいと思いながら、
戦人は愛する妻に今日もおはようのキスをした。