「Eternal Promise」

 船や飛行機に乗るたびにお袋が怖い怖いって騒いでな、それがあんまりにも大騒ぎだったもんだから物心つくころから乗り物は怖いもんだってもう信じちまった。お袋と一緒に親父にしがみついてわーわー騒いでた。だから親族会議が憂鬱だったなぁ………





「Eternal Promise」





 ティータイムの合間、どういう風の吹き回しか戦人は彼の母親のついての思い出を幾つか呟いている。珍しいこともあるものだ。ここまできた戦人にも何か思うところがあるのだろうか。喪ってきた家族に。
「で、その結果がらめぇえええええええええかよ!くっくっく……情けねぇなぁ戦人」
当然、それはテーブルを挟んで座っているベアトリーチェの耳に入って馬鹿にされる羽目になる。うるせぇ、と言い返したいところだが、そんな気力は沸いてこなかった。もう少し母の話しを何故か戦人は彼女に聞いてもらいたかったらしいというのは話しだしてから随分たってからだったが。
「結局、お袋はどんな人間だったんだろうなぁ……」
「右代宮明日夢に固執していたのは後にも先にもそなただけよ、最早、右代宮一族で明日夢に関する記録の一番の所有者は戦人しかおらぬだろうに」
「そっかぁ……そうだよなぁ」
歯切れが悪い、というかキレがない、いつもの戦人からは想像もできないようなうだうだとした返答を返されてベアトリーチェは口を噤む。戦人の言葉の先を促すように。
「っても、俺はお袋については12歳までの記憶しかねぇんだよ」
顔を思い出そうとするともうあやふやなんだと、よわよわしい声が続く。
六年間は故人の思い出を曖昧にするには余りがでるほどで、彼があれほど執着していた母親のことは戦人自身も既に薄らぼんやりとした思い出にとって代われてるらしい。


 「もしかしたら霧江さんの言うとおりの女だったりしてな」
漏れた言葉にベアトリーチェの形のよい耳がぴくりと跳ねた。
「……だとしたらそなたはどうするつもりだ?」
「さぁ……な、どっちにしろもうわかんねーことだ、しっかし女心ってわけわかんねぇな、霧江さんのこともお袋もことも縁寿のことも俺はなんもわかんねぇんだよ」
「なんだそのヤケクソな口調は」
ベアトリーチェからかけられた言葉を無視して戦人は、今までテーブルの上で項垂れていた頭を上げて彼女に向き合った。真摯な色を含んだ黒曜石の瞳がベアトリーチェを射抜く。
「一番わかんねぇのはベアトだよ」
なるほど。随分長い前置きだ。要は戦人は結局のところベアトリーチェについて聞きたいことがあったらしい。やれやれと口の中でこっそりと溜め息をついて、テーブルに足を乗せてだらしなく寛いでいた状態からきちんとした居ずまいに戻す。
「で、妾のどこがわからぬと?」
きちんと椅子に座り直したベアトリーチェはふん、と鼻を鳴らすとやや不遜な態度で胸を張って戦人に向かいあった。戦人にとってその質問をするのは大変勇気がいるようで暫くの躊躇いを見せる。冷めきった紅茶が戦人の手によって無意味にティースプーンで掻き混ぜられていた。
「なぁ……」
「なんだぁ?」
「あのさ、ベアトはもし恋心とやらを受け取っていなくても……俺を好きになってくれてたか?」
苦味を帯びた呟きがベアトリーチェの耳に届いた。


 その問いにどう答えようなんてベアトリーチェは考えるまでもなかった。
「解らぬ」
スパッと斬るような答えに戦人が再びデーブルに沈没した。低い呻きが漏れている。
「過去はどう足掻いても変えられぬよ、右代宮戦人」
ティーポットに手を伸ばしたベアトリーチェはは空になった自らのティーカップに暖かな紅茶を注いだ。湯気とともに紅茶独特のふくよかな香りが立ち込めてくる。それはまるで戦人の側にある冷めきった紅茶であったものとは雲泥の差で、それはまるで二人の心の温度差のように戦人は感じられた。
「今、在ることだけが事実だ」
今、という部分に強く力を込めてベアトリーチェは言い放つ。
「へっ?」
間抜けな声をあげる戦人は顔を上げた。ティーカップに注がれた紅茶を飲もうとしてるベアトリーチェの一連の動作があまりにも美しくて戦人は一気に目が覚めた。白い喉、くちびるから離れるティーカップ、そっと添えられた細い指。出来ることならば自分の存在が無になろうと、無になる瞬間まで覚えていたいと思うほど美しい。まるで映画の1シーンのようだった。


 もう戦人の母親に関する記憶は更新されることはない。けれどもこうして目の前で鮮やかに日々を刻むベアトリーチェがいる。ぼんやりと一連の動作に見惚れているとところに、ベアトリーチェから聞いておるのか、という叱責を受けた。
「はは……そうか、そうだよなぁ、今があるもんなぁ」
悪戯っ子のような笑みが戦人の顔に広がった。
「むっ、なんだその鬼の首を取ったような態度は!戦人のくせに!」
「だってそれ、今は俺のことが好きで……ガッ」
言いかけの言葉はベアトリーチェが投げた煙管が顎にヒットし最後まで紡がれることはなかったが、ベアトリーチェを赤面させるのは充分だったようだ。照れを隠すためか伏し目がちになっている。そこに睫毛の影が出来て思わず息を呑む。


───俺のことが好きですっていってるようなもんだろ。


 それだけで充分だった。今も今日も明日もずっとベアトリーチェはきっと傍にいてくれる。それは戦人も同じだった。明日だけじゃないこれからもずっとずっと嫌になるってぐらい傍にいてやろう。
「あっ、戦人!だが、海と空が駄目なのは直しておけ!」
先ほどの明日夢の話の流れから思い出したのかベアトリーチェは跳ねるように椅子から身を乗り出した。ぴっと細いしなやかな指が戦人を糾弾するように指していた。
「……なんでだよ」
「妾はビンロウを噛んでみたいのだ!」
「お、おま、あの時の記憶あったのか……」
「ふん、夏妃が騒いでおったのは妾も見ていたし、うっすらだけど記憶もある!」
夫婦の縁起物だと知っているのだろうかと戦人は頭を悩ませたが、耳まで赤く染まったその様を見る限り知ってはいるんだろう。照れながらも目を逸らさないのが愛おしい。
「そう……だな」
物思いにふける、外の世界を見た彼女はどんな風にはしゃぐだろうかと。
「だから、それまでになおせ!」
いつの間にか席を立っていたベアトリーチェが手により首をぐいっと無理矢理持ち上げた。奇妙な声が喉から洩れる。そこには果てしない蒼が広がっていた。椅子に座っている戦人の顔をベアトリーチェは真剣に覗き込んでいた。その双眸に捕らわれて身動きが出来なくなるほどベアトリーチェの瞳は吸い込まれそうな魅力を持っている。
「ああ……わかったぜ」
首を上げられて覗きこまれたままの奇妙な姿勢のまま戦人はイエスと答えた。覗き込んだベアトリーチェの瞳が戦人を捕らえて離さない。煌めく瞳はどこまでも深い蒼。空よりも海よりも深い蒼だった。


───ああ、そうだな、ベアトがいれば俺はきっとどこだっていける。


 自然にそう思えてきた。それだけの引力が彼女にはある。その瞳に入り込んで溺れてしまいたいと強く願うほど。溺れてきっと行きつく先が深海でも天上でも構うものか。ベアトリーチェがそこにいるならば戦人は怖いことなんてきっと何一つない。どこだっていこう。


「うむっ、では約束だ!」
指切りげんまんと年相応ではない約束の仕方をされて戦人から笑みが漏れた。
「……ああ」
小指と小指をクロスさせ終わった後、物悲しげな影がベアトリーチェの表情に落ちる。戦人も約束が果たされないことはなんとなく気づいていた。それでも、今は。決して叶わない二人きりの約束だとしても。確かに二人を支える為にここにある。